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ジャズ・レーベル(2)―プレスティッジ(Prestige)

今回はブルーノート(Blue Note)に続いてジャズ・レーベルを取り上げる。

 

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第二次大戦後、アメリカでは雨後の筍の如く新しいレーベルが次々と誕生し、その中に、後に三大ジャズ・レーベルの一つと称されることとなるプレスティッジ・レコード(Prestige Record)があった。

 

時に1949年、ブルーノートの設立から10年目の出来事である。

 

もっとも、最初に掲げられた看板はニュージャズ(New Jazz)で、程なくしてプレスティッジへとレーベル名が変更されたのである。

 


プレスティッジの設立者はボブ・ワインストック(Bob Weinstock)。

 

十代半ばという若い時からジャズに魅せられ、多くのジャズ・レコードの収集をはじめた彼は、その熱が高じて"Jazz Record Comer"というレコード店を開き、ジャズ・ビジネスの世界へ足を踏み入れ、さらにその後、自らの手でもジャズを生み出したいとの情熱を抑えきれなくなり、レニー・トリスターノ(Lennie Tristano, p)とリー・コニッツ(Lee Konitz)による「サブコンシャス・リー(Subconscious-Lee)」のリリースを以て、レーベルとしての活動を開始した。

 

レニー・トリスターノは一般にはそれほど知られていないが、演奏家・作曲家としての活動に加え、音楽教育の面でも多大な貢献をした盲目のアーティストで、この人物を抜擢したところにもワインストックのを慧眼を見ることができる。

 

 

 

 


プレスティッジ・レーベルの一番の特徴は、何といっても'50年代モダン・ジャズ音源の充実ぶりである。

 

このジャンルのアーティストでプレスティッジからレコードを出していないものは皆無といってよく、マイルス・デイヴィス(Miles Davis, tp)をはじめ、ソニー・ロリンズ(Sonny Rollins, ts)、ジョン・コルトレーン(John Coltrane, ts)、セロニアス・モンク(Thelonious Monk, p)などもこのレーベルから重要な作品をリリースしている他、レッド・ガーランド(Red Garland, p)もプレスティッジの存在なくしては語れない一人である事実を鑑みても、モダン・ジャズの隆盛にプレスティッジが果たした役割は極めて大きなものだったと言うべきだろう。

 


そんなプレスティッジについてよく語られるもう一つの特徴として、レーベルの雰囲気がある。

 

ブルーノートのオーナー兼プロデューサー、アルフレッド・ライオン*1の完全主義に対し、ワインストックは気安く自由な雰囲気のもとでレコーディングを行い、このような環境から、伸びやかさに溢れ、それでいて丁々発止の趣も兼ね備えた、数々の一期一会的名演が生まれ、多彩なアーティストを擁していたこともあって複数のビッグ・ネームをクレジットした競演盤も多い。

 

その録音には、ブルーノートでも手腕を揮ったルディ・ヴァン・ゲルダ*2が当たり、後にジャズ評論家として名を成すアイラ・ギトラー(Ira Gitler)の手になるライナーノーツも、プレスティッジの大きな売りとなった。

 

もっとも、プレスティッジのラフさが悪い方へ出てしまったパフォーマンスや、「ちょっと手抜きが過ぎるんじゃない?」と思わざるを得ないデザインのジャケットも見受けられ、ブルーノートとの対照でおもしろい。

 


もう一つの対照を言うと、ブルーノートがジャズ一本の単独レーベルとして歩んだのに対し、プレスティッジの方は「ニュー・ジャズ(New Jazz)」「スウィングヴィル(Swingsville)」「 ムーズヴィル(Moodsville)」といったサブレーベルを次々と打ち出し、さらに1960年代に入るとブルースやフォークのレーベルまで設立した。

 

しかし、業界の激しい波に抗いきれず、1971年にファンタジー・レコードに吸収され、さらに2005年にはファンタジーがコンコード・レコードに買収されたことにより、プレスティッジはコンコード・ミュージック・グループの一部となるといった栄枯盛衰の経緯は、ブルーノートと共通している。

 


先のブルーノートと同様、プレスティッジについてもその特徴のよく表れているアルバムを三つご紹介して本稿を終えよう。

 


マイルス・デイヴィス(Miles Davis)「Miles Davis And The Modern Jazz Giants」

And The Modern Jazz Giants


ソニー・ロリンズ(Sonny Rollins)「テナー・マッドネス(Tenor Madness)」

Tenor Madness


レッド・ガーランド(Red Garland)「グルーヴィ(Groovy)」

Groovy

 

 

 

 

*1:Alfred Lion

*2:Rudy Van Gelder

ピアノ(5)―ソニー・クラーク(Sonny Clark)

先の「ジャズ・レーベル(1)―ブルーノート」で、同レーベルらしい魅惑的なカヴァーを纏ったアルバム例として「クール・ストラッティン(Cool Struttin')」を挙げたが、今回はそのリーダー・アーティストであるピアニスト、ソニー・クラーク(Sonny Clark、1931年7月21日-1963年1月13日)をご紹介しよう。

 

Sonny Clark

 


幼い時からピアノに接していたクラークは、1951年にサンフランシスコでピアニストとしての道を歩み出し、スタン・ゲッツ(Stan Getz, ts)、アニタ・オデイ(Anita O'Day, vo)との共演後、1954年から56年にかけてはクラリネット奏者バディ・デフランコ(Buddy DeFranco)のカルテットに参加していくつかの録音を残すとともに、1954年にはビリー・ホリデイ(Billie Holiday, vo)の欧州公演にも同行した。

 

そして1957年、活動の拠点をニュー・ヨークへ移してソニー・ロリンズ(Sonny Rollins, ts)、チャールズ・ミンガス(Charles Mingus, b)のセッションに参加。

 

さらにブルーノート・レコードと専属契約を結び、早くも同年、「Dial "S" for Sonny」「Cool Struttin'」「Sonny's Crib」という三枚のリーダー作をものした。

 

その一方、西海岸時代同様、サイドマンとしての活動も活発で、ハンク・モブレー(Hank Mobley, ts)、リー・モーガン(Lee Morgan, tp)、カーティス・フラー(Curtis Fuller, tb)、ジャッキー・マクリーン(Jackie McLean, as)などのアルバムにも、クラークの名を見ることができる。

 

 

 


この略歴から類推されるように、クラークは自己を強烈に主張するタイプではなく、どちらかと言えば、共演者の個性を尊重し、それらを上手く総括しながら、同時にそこに一筆の、しかし印象的な自らの色合いを付加するアーティストと言えよう。

 


クラークのプレイスタイルはバド・パウエル(Bud Powell, p)の流れを汲むものだが、無論その単なるコピーではなく、粒立ちのはっきりした硬質な音で織りなす端正なフレージングに、その特質を見ることができる。

 

と同時に、諦観と哀愁との間を行き来するような情調の表現も大きな魅力であり、これらの光彩を折に触れて描き添える能力こそ、数多の優れたアーティストたちがクラークを重用した最大の理由であろう。

 

白人ミュージシャンとの共演が目立つのも、この辺りに因を求められるかもしれない。

 


なお、日本においては大きな人気を博しているクラークだが、本国アメリカではさして耳目を集める存在ではなかったらしい。

 

トランペッターのケニー・ドーハム(Kenny Dorham)もこの点同じで、そういえば両者には共通する味わいがあるようにも思われる。

 


そんなクラークは、冒頭に記した生没年が教える通り、32歳を迎えることなく他界している。

 

死因は、スコット・ラファロ(Scott LaFaro, b)やクリフォード・ブラウン(Clifford Brown, tp)のような事故ではなく、ヘロインの過剰摂取による心臓発作だった。

 


降っても晴れても(Come Rain Or Come Shine)