ジャズ on the net|JAZZの名曲・名演を動画で試聴

Jazzの歴史から代表的アーティスト、名演奏、スタンダードナンバー、おすすめの名盤まで―YouTubeの動画を視聴しながら、ジャズを愉しむためのツボをご紹介します。

朝日のようにさわやかに(Softly, As In A Morning Sunrise)

「時の過ぎゆくままに(As Time Goes By)」と同じく、邦題に些か問題のあるスタンダードナンバーとして、「朝日のようにさわやかに(Softly, As In A Morning Sunrise)」を挙げることができる。

 

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この曲もまた、元々は1928年に公開されたオペレッタ「ニュー・ムーン(The New Moon)」のために書かれた作品で、作詞はブロードウェイ・ミュージカル創成者の一人であるオスカー・ハマースタイン2世(Oscar HammersteinⅡ)、作曲はシグマンド・ロンバーグ(Sigmund Ronberg)の手になるが、冒頭主題はJ.S.バッハの「音楽の捧げもの(Das Musikalische Opfer, BWV1079)」における「2つのヴァイオリンのための同度カノン(Canon 2, a 2 Violini in unisono)」に拠っている。

 

ところで、「ニュー・ムーン」には、やはりスタンダードナンバーとして現在まで命脈を保っている「恋人よ我に帰れ(Lover, Come Back To Me)」も含まれているが、一般的に言って珍しい(少なくとも多くはない)、カンマ","の入った(を入れるべき)タイトルが二つも見られるのは、単なる偶然だろうか。

 


それはさておき、邦題に些か問題あり――とは、「時の過ぎゆくままに」同様、詞の内容に照らしてのことである。

 

以下に拙訳を付して引用した詞をご覧頂けば、これに関して更に言葉を重ねる必要はなかろうと思う。

 

Softly as in a morning sunrise

朝日のようにひそやかに

The light of love comes stealing

新たな日純な心に

Into a newborn day

愛の光は忍び入る

 

Flaming with all the glow of sunrise

熱い口づけが朝焼けとともに燃え上がり

A burning kiss is sealing

偽りに満ちた誓いを

A vow that all betray

きれいに焼き尽くす

 

For the passions that thrill love

熱情は愛を鼓舞して

And take you high to heaven

人を天界へと誘い上げる

Are the passions that kill love

そして一転愛を殺し

And let it fall to hell

それを地獄へ突き落とす

So ends the story

物語のこれが閉幕

 

Softly as in an evening sunset

夕日のようにひそやかに

The light that gave you glory

ときめきを授けたその光は

Will take it all away

やがてすべてを奪い去る

 

Softly as it fades away…

光がそっと褪せるように…

 


では、タイトルの邦訳に際し、なぜ、"softly"を「さわやかに」などとしたのかという点だが、これは恐らく、詞を読むことなく(もしくは把握することなく)――かどうかは定かでないものの、曲を聴いてそのひんやりとした情調に基づき訳出を行ったためだろう。

 

また、仮に「朝日のごとくさわやかに」が本来の訳だとすれば、明治天皇の1909(明治42)年の御詠「さしのぼる 朝日のごとく さわやかに もたまほしきは 心なりけり」をも意識したように思う。

 

 

 

 


ともあれ、この「Softly, As In A Morning Sunrise」が名曲であることは間違いないのだが、そのパフォーマンスには形態の面で大きな偏りが見られる。

 

具体的には、小編成での演奏、特にピアノ・トリオによるものが圧倒的に多いように思われるのである。

 

実際、私が初めて聴いたのは、確か前田憲男トリオによる演奏だったと記憶しているし、ホーンを擁するセッションのアルバムにおいても、この曲(だけ)をピアノ・トリオで奏している例を、以下のように一つならず挙げることができる。

 

ポール・チェンバースPaul Chambers Qiuintet」
マイルス・デイヴィス「In Person Friday And Saturday Nights At The Blackhawk, Complete [Disc 4]」
リー・モーガン「Introducing Lee Morgan

 

これもまた、「Softly, As In A Morning Sunrise」の妙味を前面に引き出すための一策と見做せるかもしれない。

 


では最後に二つ、この曲の秀逸なパフォーマンスをお聴き頂こう。

 

しかしここでは、ピアノ・トリオによらないものを敢えて選んだ。

 

モダン・ジャズ・カルテット(The Modern Jazz Quartet)
ソニー・ロリンズ(Sonny Rollins)

 

 

 

 

ジャズ・レーベル(1)―ブルーノート(Blue Note)

振り返ってみると、もう長い間、アーティストと名曲・名演とを織り合わせながらご紹介してきた。

 

無論、いずれのテーマもまだまだ尽きることはないのだが、ここで新たな主題を追加するのも悪くはないだろう、と思い付いた。

 

それすなわち、ジャズのレーベルである。

 

個性的なアーティストに事欠かないのと同様、ジャズにおいてはレーベル(=レコード会社、ブランド)にも独自の理念を貫いてきた(いる)ものが少なくなく、それらを知ることでこの音楽に対する愉しみと興味が一層深まるはずだ。

 

 

 

 

 

1938年12月23日、「スピリチュアルズからスイングまで」と銘打ったジャズ・コンサートが、カウント・ベイシー・オーケストラをメインに据えてカーネギーホールで行われ、これを聴いて深く感動した一人の青年が、その2週間後の1939年1月6日、自らジャズ・レコードの制作を開始した。

 

録音に抜擢されたアーティストは、ピアニストのアルバート・アモンズ(Albert Ammons)とミード・ルクス・ルイス(Meade "Lux" Lewis)、それを行った青年の名はアルフレッド・ライオン(Alfred Lion)、後の名門ジャズ・レーベル「ブルーノート・レコード(Blue Note Records)」の誕生である。

 

 

ライオンはドイツ人で、1928年にアメリカへ移住してきたが、その動機にはジャズに魅せられたことがあった。

 

そんなライオンの起こしたレーベルだけに、ブルーノートではレコードを完璧なものとするため、当時としては珍しいリハーサルを録音の前に行い、それに対してもギャラを払ったといわれている。

 

このような姿勢が多くのミュージシャンやリスナーの共感を集め、50年代のジャズ黄金期にはジャズの殿堂としての地位を確立し、さらなるジャズの発展に寄与することとなったが、初めから順風満帆の船出だったわけではない。

 

最初の二枚のレコードはいずれもわずか25枚が製作されたに過ぎず、しかも流通経路は通信販売のみという侘しいものだった。

 

しかし、交友関係を伝手にマンハッタンのレコード店「コモドア・ミュージック・ショップ」でブルーノートのレコードを販売してもらえることとなったのをきっかけに、さらにいくつかのショップにおける取り扱いも得られたことは、単にブルーノートに限らず、音楽愛好家、さらに延いては音楽界にとっても僥倖だったと言うべきだろう。

 

 

 

 


そして1944年7月、若いテナー・サックス奏者アイク・ケベック(Ike Quebec)がブルーノートを訪れたこともまた、大きな飛躍の契機となった。

 

しかしそれは、ケベックのミュージシャンとしての活躍によってではなく、セロニアス・モンク(Thelonious Monk)、バド・パウエル(Bud Powell)などをブルーノートへ紹介した、彼の一種のA&R(Artists and Repertoire)、スカウト的な活動がもたらしのである。

 

その後ブルーノートは、ファッツ・ナヴァロ(Fats Navarro, tp)、アート・ブレイキー(Art Blakey, ds)、ジミー・スミス(Jimmy Smith, org)、ホレス・シルヴァー(Horace Silver, p)、クリフォード・ブラウン(Clifford Brown, tp)、マイルス・デイヴィス(Miles Davis, tp)、ウィントン・ケリー(Wynton Kelly, p)といったダイヤモンドの原石をも発掘するが、このようなまだ無名の優れた若手ミュージシャンに録音の機会を与えるとともに世に紹介することは、ブルーノートの掲げた重要な理念で、さらに名を挙げれば、あたかもモダン・ジャズのアーティスト総覧の感を呈することになる。

 


さて、ブルーノートを語る上で忘れてはならない重要な人物が、ライオンのほかに3人いる。

 

まず、ライオンの親友フランシス・ウルフ(Francis Wolff)。

 

もともと写真家だったウルフは、ライオンととともにブルーノートの共同経営に携わると同時に、自分の技術を活かしてアルバムのカヴァー写真を撮影した。

 

"Jazzy"な雰囲気に満ちたこれらのカヴァーは「ブルーノート・カラー」と呼ばれ、ブルーノートの重要なトレードマークの一つとなったのである。

 

 

また、当時新進気鋭のグラフィック・デザイナーだったリード・マイルス(Reid Miles)は、同レーベルがリリースするレコードのジャケットデザインを担当し、アンディ・ウォーホル(Andy Warhol)の作品を使用するなどの野心的な試みによって生み出されたそれらジャケットは、「ブルーノート アルバム・カヴァー・アート」という写真集が出されたほど、現在でもその芸術性が高く評価されている。

 

 

 

 

 

そして残りの一人は、ブルーノートの「音」を支えたエンジニア、ルディ・ヴァン・ゲルダー(Rudy Van Gelder)である。

 

ライオンは1950年代の初頭から自社での録音にヴァン・ゲルダーを起用し、彼の天才的なジャズ録音の手腕と新技術への挑戦の成果として、我々がよく知っているあのパワフルで深みのある音が残された。

 

CDやレコードなどに記された"RVG"はヴァンゲルダー刻印と呼ばれ、ルディ・ヴァン・ゲルダーによって録られたことを誇らかに謳っている。

 


制作に携わる側とアーティスト、両者のジャズに対する深い愛情とそれぞれの卓越したスキル……その結晶が、音楽性は固より美術的にも大きな価値を持つ、オリジナリティと普遍性とを兼ね具えた数々のブルーノートのジャズ・アルバムなのである。

 


このように芸術的には極めて高い評価を博したブルーノートだが、「売れた作品の収益により、優れているが売れないだろう作品をも世に出す」その姿勢は経営的には常に大きな負担となり、1960年台の半ばにリバティ(Liberty)社に買収され、さらに1983年には、リバティーがキャピトル・レコード(Capitol Records)に買収されたことで、キャピトルの親会社であるEMIの傘下に入った。

 

内部事情に目を向けると、この間、1967年のライオンの引退、1971年のウルフの他界という大きなダメージもあり、ブルーノートはその黄金時代の幕を閉じたが、1985年に活動を再開し、以後現在まで“The Finest In Jazz Since 1939”というレーベルの旗印は脈々と受け継がれているのである。

 


最後に、目・耳ともに愉しませてくれるブルーノート・レーベルのアルバム3枚をご紹介して本稿を終えよう。

 


ジョン・コルトレーン(John Coltrane)「ブルー・トレイン(Bluer Train)」

Blue Train


ソニー・クラーク(Sonny Clark)「クール・ストラッティン(Cool Struttin')」

Cool Struttin'


ケニー・バレル(Kenny Burrell)「ブルー・ライツ(Blue Lights) Vol.2」

Blue Lights Vol.2