ギター(1)―ケニー・バレル(Kenny Burrell)
ロックやポップスにおいては、ギターはほとんどの場面で主役を演じる看板楽器だが、ジャズの世界に目を転じると、その輝かしい座に君臨するのはトランペットやテナーサックスなどのホーンであり、ギターは場合によってはピアノ・ベース・ドラムスにも道を譲っているようだ――
個人的なことを言うと、ジャズを聴き始めて間もなくそんな印象を持つとともに、以後かなり長い間、私はギターを擁するジャズのパフォーマンスを意識的に取り除けていた。
もっとも、それは上に挙げたギターの位置付けについての印象からではなく、今思うと、まだ少年時代だった当時、レコード、FM放送そしてカセットテープで主に聴くのは内外のロック・ポップスで、ジャズに関しては、よくわからないながらも惹きつけられる情趣を具えた、前者とは全く別の独特な世界と捉えていたため、最も馴染み深いギターというものがそこに加わることによってその趣が削がれるような気がしたためのようだ。
独りギターだけではなくヴォーカルからも耳を逸らしていたことを併せ鑑みると、やはりこれが理由らしい。
要するに、どちらについても完全な食わず嫌いだったわけだ。
そんな状態から、今度はクラシック音楽へと興味の比重が移り、やがて音楽=モーツァルトという時代がこれも10年以上に亘って続いた後、アメリカへ旅行する機会が生じてさて現地で何を見聞しようかと考えた際、季節は夏であいにくオペラなどは休演中、では他にアメリカが本場のものは――と巡って真っ先に頭に浮かんだのがジャズで、これを機にこのジャンルに舞い戻ったのだが、そこから離れていた間に変な拘りは消失し、ごく自然にギターへも
ヴォーカルへも目が向き、手が伸びるようになっていた。
初めて意識的にその演奏を聴いたジャズ・ギタリストが誰だったかという記憶ははっきりしないのだけれど、ジャズにおけるギターも良いものだ――と強く感じたのがケニー・バレルだったことは覚えている。
バンジョーやギターを演奏する工場労働者を父、ピアニスト兼オルガニストを母としてミシガン州デトロイトに生まれたケニー・バレル(Kenny Burrell、1931年7月31日-)は、その音楽的に恵まれた家庭および土地環境もあって幼い時からさまざまなジャンルの音楽に接し、やがてジャズに深い関心を抱くようになった。
その際に惹かれたのはテナー・サックスだったが高価で手にすることができず、仕方なしに選んだのがギターだったという。
同地には同い年のトミー・フラナガン(Tommy Flanagan, p)、ペッパー・アダムス(Pepper Adams, bs)、さらに先輩・後輩にそれぞれ当たるミルト・ジャクソン(Milt Jackson, vb)、ポール・チェンバース(Paul Chambers, b)らがおり、彼らとの交流もバレルの音楽的な技量手腕を高めるのに多大な影響を及ぼしたに違いない。
さらにウェイン州立大学で正式に音楽を学んだ後、ディジー・ガレスピーのレコーディングに参加し、続いて斯界での自らのキャリアをさらに切り開くべくニューヨークへ活動の場を移すと、ブルーノートのオーナー兼プロデューサー、アルフレッド・ライオンの目に留まるという幸運に恵まれ、1956年、同レーベルから「イントロデューシング・ケニー・バレル(Introducing Kenny Burrell)がリリースされたのである。
バレルの演奏は、ブルースのフレーバーを基調としているが、南部のジャズほどのどろッとした風合は少ない。
これはバレルに白人の血が混じっていることに加え、彼の音楽がデトロイトという都市でビ・バップという流れに浴しながら培われたことも大きく与っているように思う。
熱さと冷たさ、素朴と洗練といった相対立する要素を兼備したそんなバレルの演奏は、ビ・バップに続いて起こったハード・バップをはじめ以後のさまざまなムーブメントに自然にフィットし、自ら脚光を浴びるとともに、さまざまなアーティストのセッションをも長きに亘り華やかに彩ることとなったのである。
この点ではロン・カーター(Ron Carter, b)と双璧を成すアーティストと言えるだろう。
・Weaver of Dreams
https://www.youtube.com/watch?v=k50FN3GizyY