ジャズ初心者喫茶|名曲・名演を動画で試聴

Jazzの歴史から代表的アーティスト、名演奏、スタンダードナンバー、おすすめの名盤まで―YouTubeの動画を視聴しながら、ジャズを愉しむためのツボをご紹介します。

テナーサックス(3)―ソニー・ロリンズ、ジョン・コルトレーン

前二回の記事「ジャズ・テナーサックス(1)」「同(2)」でご紹介したように、スタン・ゲッツとズート・シムズは共にレスター・ヤングの影響を受けていることもあり、その演奏には共通する雰囲気が感じられる。

 

jazz-cafe.hatenablog.com

 

jazz-cafe.hatenablog.com

 

粗い言い方であることを承知で言えば、三人ともテナーとしてはやや軽やかな印象のプレイを得意としており、このことは、彼らのパフォーマンスを試聴をされた方にはある程度納得頂けるだろうと思う。

 


さて、先の三人と比較しようというわけではないが、今回取り上げるのは、いずれも「これぞテナー」といった重厚な音を響かせるアーティストだ。

 

それも、ジャズ・テナー界を代表する二巨人――となれば、もうその名は言わずもがな。

 

ソニー・ロリンズとジョン・コルトレーンである。

 

この二人は単にテナーサックス・プレイヤーの範囲にとどまらず、ジャズ・シーン、さらに広く音楽全体界においても重要なアーティストであり、両者の性格・演奏の特徴のコントラストから互いによく比較され、日本では特に、それぞれ長嶋と王とに喩えられることもある。

 

 

 


ソニー・ロリンズ(Sonny Rollins、1930年9月7日- )は、「インプロヴァイザー(improvisor)」、すなわち「即興演奏家」という言葉がふさわしいアーティストで、機知に富んだ臨機応変な演奏は彼の独壇場であり、時に延々と続く即興は、ファンはもちろん、競演するアーティストをも魅了した。

 

Sonny Rollins

 

しかも、ロリンズのアド・リブ(ad lib)は単に曲芸的なものではなく、ほとんどが芸術の域にまで高められているという点にも彼の凄さがあると言えよう。

 

そのロリンズがテナーサックスを始めたのはハイスクールの時で、この頃ともに演奏していた仲間には、後にジャズ界で名を馳せるアルトサックスのジャッキー・マクリーン(Jackie McLean)、ピアノのケニー・ドリュー(Kenny Drew)がいた。

 

ロリンズもまた、マイルス・デイヴィス(Miles Davis)との出会いが飛躍の契機となった多くのアーティストの一人で、1951年、マイルス・デイヴィスのセッションに参加する一方、バンド・リーダーとしての初レコーディングを経験。

 

その後もリーダーとしての活動と並行してマイルスのレコーディングに加わり、1954年、一時ジャズ・シーンから姿を消すが、翌1955年に復帰し、クリフォード・ブラウン(Clifford Brown)=マックス・ローチ(Max Roach)・クインテットに参加した。

 

そして1956年にリリースしたリーダー作、「サキソフォン・コロッサス(Saxophone Colossus)」で不動の地位を確立。

 

このアルバムはモダン・ジャズの代名詞として、現在も高い人気を誇っている。

 

そんな人気絶頂期にあったロリンズだが、「自分のプレイを見つめ直したい、」と突然引退し、当時のファンおよび音楽関係者にとって正に青天の霹靂となったが、ロリンズは音楽から離れたわけではなく、その言葉通り修練を重ねて、1961年11月に活動を再開。

 

1962年に発表したアルバム「橋(The Bridge)」は、練習に勤しんだ場所であるウィリアムズバーグ橋に因んでいる。

 

ここでは、1956年に生み出された8枚のアルバムの中から一曲お聴き頂こう。

 

ソニー・スフィア(Sonny Sphere)

 

 

 

 
一方のジョン・コルトレーン(John William Coltrane、1926年9月23日-1967年7月17日)は「求道者」と呼ばれ、ジャズの精神性を深く追求したアーティストだ。

 

John Coltrane

 

1946年、アルトサックス奏者としてプロとしての活動を開始。

 

1949年にディジー・ガレスピー(Dizzy Gillespie)のバンドに加入し、そこでテナーサックスに転向したものの、ほとんど注目されることなく、レコーディングの機会にも恵まれなかった。

 

1955年、ロリンズの後釜といった形でマイルスのグループに参加した時点でも、十人並みのプレイヤーと見做されていたが、コルトレーン自身のジャズに対する真摯な姿勢とマイルスの薫陶とがみごとな花を咲かせ、1957年には初のリーダー作「コルトレーン(Coltrane)」として結実したのである。

 

さらに1958年にはマイルスのバンドに復帰し、翌年、音楽史に燦然と輝く、マイルスの「カインド・オブ・ブルー(Kind Of Blue)」の完成に寄与。

 

この頃、コルトレーンは、テナーサックスの朗々たる音色を存分に活かすべく、音を曲全体に敷き詰めたような奏法を自己のものとし、音楽評論家のアイラ・ギトラーはこれを「シーツ・オブ・サウンド(sheets of sound)」と称し、日本語では「音の洪水」とも呼ばれている。

 

その後も、1965年にはアルバム「アセンション(Ascension)」によりフリー・ジャズを具現するなど、精力的な活動を展開したが、67年、わずか40歳の若さでこの世を去った。

 

無名時代が長かったこともあり、コルトレーンが第一線で活躍した期間は約10年に過ぎない。

 

しかし、彼の影響を受けていないジャズ・テナーサックス・プレイヤーはいないとまで言われているのである。

 

そんなコルトレーンの地盤となった一枚から、見事なパフォーマンスを一つ。

 

ブルー・トレイン(Blue Train)