トランペット(2)―マイルス・デイヴィス、ケニー・ドーハム
ガレスピーの傍らから、もう一人、後代に圧倒的な影響を及ぼすことになる巨人が現れた。
マイルス・デイヴィス(Miles Dewey Davis III、1926年5月26日-1991年9月28日)である。
前回、クリフォード・ブラウン(Clifford Brown)のデビューのきっかけが、代役としてディジー・ガレスピー(Dizzy Gillespie)と共演したことであるとご紹介したが、このマイルスもまた、ビリー・エクスタイン(Billy Eckstine)楽団がセントルイスで公演した際、病欠のトラッペッターの代わりとしてチャーリー・パーカー(Charlie Parker)、ディジー・ガレスピーと同じ舞台に立ち、ここからキャリアの一歩を踏み出したのである。
1950年代には、ソニー・ロリンズ(Sonny Rollins)、ホレス・シルヴァー(Horace Silver)、アート・ブレイキー(Art Blakey)などとのセッションを重ね、クール・ジャズを確立。
そして1955年、ジョン・コルトレーン(John Coltrane, ts)、レッド・ガーランド(Red Garland, p)、ポール・チェンバース(Paul Chambers, b)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(Pillie Joe Jones, ds)というメンバーで、自らのクインテットを結成、「黄金の」とも修飾されるこのグループからは、「ワーキン(Workin')」「スティーミン(Steamin')」「リラクシン(Relaxin')」「クッキン(Cookin')」という不朽の名盤が生み出された。
そのレコーディングは、俗に「マラソン・セッション」と呼ばれるが、これは、メジャー・レーベルであるコロムビアへの移籍に際し、プレスティッジとの既存の契約を果たすため、わずか2日(1日×2回)で一気に完遂されたためである。
そんな、謂わばやっつけ仕事から、優れた作品が生まれるとは、何ともジャズらしい。
続いて、1958年にはキャノンボール・アダレイ(Cannonball Adderley, as)の加入、メンバーの入れ替わりを経てセクステットでの活動が中心となるが、ここでのビル・エヴァンス(Bill Evans, p)との邂逅は双方に多大な影響を及ぼしてマイルスにモード・ジャズの探求を促し、翌年、単にジャズのみならず音楽界全体においても至宝と言われる「カインド・オブ・ブルー(Kind Of Blue)」として結実した。
その後もマイルスは、ジャズの電子化、クロスオーバー、ヒップホップ・ジャズの創造など、一つ所に安住することなく絶えず新機軸を追求。
これら活動の多彩さ、存在感の大きさを鑑みれば、「モダン・ジャズの帝王」との称号に頷かない者はほとんどいないであろう。
そんなマイルスの演奏の底に流れる、最も重要な特質を一つ挙げるとすれば、それは「間」の取り方上手さではないかと思う。
トレードマークともいえるミュート(弱音器)付きトランペットによる次のパフォーマンスから、是非それを感じ取って頂きたい。
・オン・グリーン・ドルフィン・ストリート(On Green Dolphin Street)
これまでにご紹介した「時代を画したアーティスト」の内の二人、クリフォード・ブラウン、マイルス・デイビスとほぼ同時期に活動を開始したトランペッターにケニー・ドーハム(Kenny Dorham、1924年8月30日-1972年12月5日がいる。
綺羅星の如き二人の陰に隠れた感があり、実際、ジャズ界に大きな影響や変革をもたらしたわけではないが、自己の分を守りつつ独自の世界を築き上げた。
その一方、ガレスピーとパーカー、ジャズ・メッセンジャーズ(The Jazz Messengers)、さらにジョー・ヘンダーソン(Joe Henderson)などに堅実な力を貸し、それぞれビ・バップ、ハード・バップ、新主流派といったムーブメントの活動を支えたことも特記できよう。
ドーハムのトランペットには、ブラウンのような明るい伸びやかさも、またマイルスの如き神業ともいえる間合いの妙もない。
しかし、その幾分濁った、しかし滑らかな音色には、諦観にも通じる「侘び・寂び」の趣が感じられる。
日本にドーハム・ファンの多い一因は、ここにあるとして間違いあるまい。