男性ヴォーカル(2)―ジョニー・ハートマン、チェット・ベイカー
男性ジャズ・ヴォーカル(1)としてルイ・アームストロング(Louis Armstrong)をご紹介してからだいぶ時が経ってしまったが、今回その(2)として二人のシンガーを取り上げる。
先ず一人目はジョニー・ハートマン(Johnny Hartman、1923年7月3日-1983年9月15日)。
1947年、あるコンテストで優勝し、その褒賞としてアール・ハインズ(Earl Hines)と一週間共演したことで注目を浴び、ジャズ・シンガーとしてのキャリアをスタート。
その後も、エロール・ガーナー(Erroll Garner)、ディジー・ガレスピー(Dizzy Gillespie)といった優れたアーティストらの元で研鑽を積み、一流のジャズ・クラブへの出演をはじめ、ヨーロッパ各地の巡業も行った。
1963年には、アート・ブレイキー(Art Blakey)率いるジャズ・メッセンジャーズ(The Jazz Messengers)の一員として来日して日本でも名が知られるようになり、さらに同年、ジョン・コルトレーン(John Coltrane)に協力を請われて、共にバラード集「John Coltrane And Johnny Hartman」を世に送り出したことで、確固とした名声を確立した。
後年にはポピュラー界への進出も企てたが、彼の本領はやはりジャズにあると言うのが妥当と思う。
では、ハートマン、同時にコルトレーンの持ち味でもある、甘く温かい音色をお聴き頂こう。
・デディケイティッド・トゥ・ユー(Dedicated to You)
もう一人、ウエストコースト・ジャズからチェット・ベイカー(Chet Baker、本名:Chesney Henry Baker Jr.、1929年12月23日-1988年5月13日)を。
トランぺッターとしての技量に加え、「ジャズ界のジェームス・ディーン」と称された端正な容姿、中性的な歌声により、さらに白人であるということもあって、1950年代半ばには広く大衆的人気を博した。
年齢的に近く、また同じトランぺッターゆえに、マイルス・デイヴィス(Miles Davis)と比較されることが多いが、これはマイルスの対抗馬としてチェットを売り出そうという業界の思惑・戦略に拠るところが大きく、チェット自身はマイルスを深く信奉していたという。
1954年には、ニューヨークのジャズ・クラブ「バードランド(Birdland)」において、第1部はディジー・ガレスピー、第2部がマイルス&チェットという錚々たる顔ぶれの競演を果たし、このジャズ史の一コマは、映画「ブルーに生まれついて(Born To Be Blue)」にも描かれている。
しかし、チェットの全盛期はこの頃までで、50年代の後半からヘロインに溺れ、その名声を自ら失っていったことは、彼にとっても、ジャズ界にとっても惜しまれる。
その後しばらく経った1973年には、ディジー・ガレスピーの助けを得て音楽界への復帰を成し遂げたものの、往年の輝きを取り戻すことはできなかった。
ご紹介する動画は、マイルスにも有名なパフォーマンスがある次曲。
・マイ・ファニー・ヴァレンタイン(My Funny Valentine)
ここに漂う、気怠い浮遊感とでも言うべき情調は、ジョアン・ジルベルト(Joao Gilberto)に少なからぬインスピレーションを与え、ボサノヴァの生まれ出づる一因になったともいわれるものだ。