トランペット(1)―ディジー・ガレスピー、クリフォード・ブラウン
代表的ジャズ・アーティストの紹介も、今回からいよいよ管楽器を中心とするフロントへ入る。
その第一弾はトランペッターだ。
人声に最も近い音色といわれるトランペットは、その華やかさもあって、ジャズにおいても人気の高い楽器であり、名プレイヤーの名前を数多く挙げることができるが、その中でもエポック・メイキング(epoch making)な――すなわち時代を画する、とりわけ重要なアーティストが何人かいる。
先に「男性ジャズ・ボーカル(1)」でご紹介した「サッチモ」ことルイ・アームストロング(Louis Armstrong)は、トランペッターとしてもジャズ黎明期に重要な役割を果たしたが、ここでは続いて登場したディジー・ガレスピー(Dizzy Gillespie[John Birks Gillespie]、1917年10月21日-1993年1月6日)から始めることにしたい。
1940年代、ガレスピーはケニー・クラーク(Kenny Clarke, ds)、セロニアス・モンク(Thelonious Monk, p)などとともに、リズムの重視、自由なアドリブを特徴とする新しいスタイルのジャズの探求を開始、これが後にビ・バップという花を咲かせ、さらにチャーリー・パーカー(Charlie Parker, as)の多大な功績もあって、モダン・ジャズとして大きな実を結ぶことになる。
その超絶的なテクニックとユニークな発想は、このようにジャズ・シーンを活性化させると同時に、次世代のアーティストたちが誕生・成長するための土壌を残すという役割をも果たした。
ガレスピーのトレードマークともいえる、ベル(先端部)が上を向いた独特なトランペットを、まるで蛙のように頬を膨らませて演奏する姿を一目見て、記憶の底にその印象を鮮烈に焼き付けられた人も多いのではなかろうか。
因みに、「Dizzy(眩暈を覚える、くらくらする)」という愛称は、彼の超絶的な技巧に由来する。
暴力沙汰の少なくなかった一方、仕事に対する態度は極めて真摯で、かつ宗教的規律に基づく節制に努めていたため、ガレスピーはジャズ・ミュージシャンとしては珍しく75年の長い生涯に恵まれた。
上のガレスピーの影響を受けたトランペッターの一人に、「ブラウニー」ことクリフォード・ブラウン(Clifford Brown、1930年10月30日-1956年6月26日)がいる。
トランペットは12歳の頃から吹き始めたと言われるが、進学先として初めに選んだのは、デラウェア州立大学の数学科だった。
しかし、その翌年、メリーランド州立大学音楽科へ移り、ガレスピーの楽団が地元に演奏旅行に来た際、あるトランペッターが遅刻したため代役として舞台に立ち、その演奏が絶賛されたことがデビューの契機となったのである。
彼の特徴は「歌心」に富んでいる、すなわち非常にメロディアスであること、および軽妙なアドリブのうまさにあり、その煌びやかな技術から「トランペット・センセーション」とも称された。
ブラウニーはその経歴からも推されるように、品行方正で篤実な人柄を具え、ジャズに付き物ともいえる退廃とは無縁であったにもかかわらず、車の事故によりわずか24歳という若さでこの世を去った。
何とも冷酷な運命ではあるが、我々に遺してくれたかけがえのない喜びの泉は、決して枯れることはないだろう。