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ピアノ(4)―ビル・エヴァンス

もう一人はビル・エヴァンス(William John Evans、1929年8月16日-1980年9月15日)。

 

Bill Evams

 

エヴァンスの名は、単にジャズ・ファンに限らず、音楽好きなら恐らく誰でも耳にしたことがあるのではないかと思う。

 


ところで、"William John"がどうしてBillとなるのか、これはニックネームなのか、と疑問に思う方もいるかもしれない(私がそうだった……)ので、ジャズとは直接関係ない、かつ蛇足的なこととなるが、ここで少々述べておきたい。

 

Billというのは、ニックネームというより、Williamの略称で、勘のいい方はもうお気付きかと思うが、WilliamがWillと略され、やや言い難いためだろう、さらに先頭の文字がBに変わってBillとなったものらしい。

 

こう原語で表記してみればどうということもないのだけれど、綴りのイメージなしに音だけで考えると、意外と気付かないものだ。

 

同様な例として、Richard→Rick→Dickもあり、これらを頭の片隅に置いておくと、英米の小説など読んでいる際、突然未見の名前が現れて戸惑うことは減ると思う。

 

 

 

 

閑話休題、エヴァンスの紹介に戻ろう。

 

エヴァンスがピアノに触れたのは、先のモンクと同じ6歳の時と言われ、さらにヴァイオリン、フルートなどを通じてクラシック音楽の素養を培った。

 

ジャズに対する関心は10代になって芽生え、1946年の大学入学後、アマチュア・ミュージシャンとしての活動を本格化させたが、卒業後の1951年、招集により入隊した陸軍では、音楽活動はできたものの、そこでの生活はエヴァンスには合わず、さらにこの期間に麻薬に魅入られ、以後の全生涯にわたって苦しめられることとなった。

 

兵役を終えた後の1954年、ニューヨークに出て音楽活動を再開し、次第に音楽関係者の間でその名を知られるようになったエヴァンスは、リバーサイド・レーベルから招聘を受け、1956年に初のリーダー作「ニュー・ジャズ・コンセプションズ(New Jazz Conceptions)」をリリース。

 

だが、このアルバムではまだエヴァンスの特質が十分には発揮されず、世評や売上の面でも成功とはならなかった。

 

その特質とは、端的に言えば「クラシック音楽を基礎とする繊細な抒情性」とでも言えるだろうか。

 

1958年、これがモード・ジャズを模索していたマイルス・デイヴィス(Miles Davis)の目を惹き、そのバンドに加入したが、エヴァンスはメンバー中唯一の白人、そしてプレイ・スタイルが異質ということなどもあり、そこに長く留まることはなかった。

 

しかし翌年、一時的に再加入して、ジャズにおける最高の金字塔とも称される「カインド・オブ・ブルー(Kind Of Blue)」が誕生したのである。

 

その直後、エヴァンスはドラムスのポール・モチアン(Paul Motian)、ベースのスコット・ラファロ(Scott LaFaro)という盟友を得てトリオを結成、ここにおいて、三者が対等に、積極的にインプロビゼーション(即興演奏)を展開するインター・プレイを確立し、正に水を得た魚の如く、自らの煌めきを遺憾なく発揮したが、1961年7月6日、ラファロは25歳という若さで事故死する。

 

この悲劇により黄金のトリオはごく短命にしてその活動に終止符を打つこととなったものの、彼らの残した、「リバーサイド四部作」と呼ばれる以下の4枚のアルバムが、当時の、さらにその後のジャズに及ぼした影響は、決して小さいなものではないのである。

 

ポートレイト・イン・ジャズ(Portrait In Jazz)
エクスプロレイションズ(Explorations)
ワルツ・フォー・デビー(Waltz For Debby)[Live]
サンデイ・アット・ヴィレッジ・ヴァンガード(Sunday At the Village Vanguard)[Live]

 


最後に、「ワルツ・フォー・デビー」から演奏を一つご紹介しておくが、その冒頭の「意図的なたどたどしさ」をモンクのそれと聴き比べるのも一興かと思う。

 

また、上に挙げた以外のアルバムを含め、エヴァンスの他のパフォーマンスも是非お聴き頂きたい。

 

どれをピックアップしても、まず外れはないはずだ。

 

マイ・ロマンス(My Romnce)