ジャズ・レーベル(3)―リバーサイド(Riverside)
ビル・エヴァンス(p)がスコット・ラファロ(b)、ポール・モティアン(ds)と残した次の4枚のアルバムは、「リバーサイド4部作」と呼ばれることがある。
・ポートレイト・イン・ ジャズ(Portrait in Jazz)
・サンデー・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード(Sunday at the Village Vanguard)
・ワルツ・フォー・デビィ(Waltz for Debby)
・エクスプロレーションズ(Explorations)
この「リバーサイド」もジャズのレーベル名で、先にご紹介したブルーノート、プレスティッジと合わせ、モダン・ジャズの3大レーベルと称される名門だ。
リバーサイド・レーベルは1953年、ニューヨークで誕生した。
創設したのはビル・グラウアーとオリン・キープニュース。
二人はコロンビア大学の同級で、大学を卒業した後、グラウアーはレコード・コレクター向けの月刊誌"Record Changer"の発行に携わり、その後を追うようにしてキープニュースも同誌に身を寄せるようになった。
そして、この"Record Changer"で数年を経た後、リバーサイド・レーベルを発足させたのである。
当初、リバーサイドはビバップ以前の古典ジャズの復刻を主に手掛けていたが、1954年、身長2mを超える文字通りの巨人ランディ・ウェストン(Randy Weston, p)の録音によりモダンジャズ・シーンへ足を踏み入れ、翌1955年にセロニアス・モンク(Thelonious Monnk, p)と契約したことを契機として、この領域への本格的進出。
さらに続いて、ビル・エヴァンス(Bill Evans, p)、キャノンボール・アダレイ(Cannonball Adderley, as)、ジョニー・グリフィン(Johnny Griffin, ts) 、ウエス・モンゴメリー(Wes Montgomery, g)、ボビー・ティモンズ(Bobby Timmons, p)といったアーティストを見出し、彼らの作品を次々に発表してジャズ・レーベルとしての地位を確立した。
この発展の背景には、ミュージシャンの耳を信頼し、彼らが推すアーティストを積極的に招き入れるというこのレーベルの風土があったと言われている。
例えば、グリフィンはモンクによりリバーサイドに招聘されたし、アダレイはクラーク・テリー(Clark Terry, tp)によって推挙されるとともに、後には逆にブルー・ミッチェル(Blue Mitchell, tp)を見出すなどして、リバーサイドの発展に大きく貢献することになった。
そのリバーサイドにおけるグラウアーとキープニュースの役割は、大きく、新作のプロデュースはキープニュース、グラウアーはレーベルの財政面の管理と分かれていたが、キープニュースはさらに、自分が制作したアルバムのライナー・ノーツも手がけた。
これはもともと、ライナーノーツの執筆を外部に依頼するだけの経済的余裕がなかったことによる苦肉の策だったということだが、レコード制作の舞台裏まで知悉しているプロデューサーが自ら書いたライナー・ノーツには、作品誕生の背景や録音時のエピソードなども盛り込まれており、リバーサイド・レーベルの売りの一つとなった。
さて、ブルーノート(Blue Note)、プレスティッジら(Prestige)と競いながら、ジャズシーンにおいて重要な役割を演じたリバーサイドだが、レーベルの財政を一手に担っていたグラウアーが1963年に世を去ったことで、翌年、その活動に一旦終止符を打つ。
しかし1972年、リバーサイドもプレスティッジに続いてファンタジー・レコードに吸収され、同レーベルが残した300点あまりの貴重な遺産は、現在も折に触れて復刻が繰り返されている。
我々にとってはこの上ない恩恵と言うべきだろう。
キャノンボール・アダレイ「ノウ・ホワット・アイ・ミーン(Know What I Mean?)」
ウェス・モンゴメリー「ジ・インクレディブル・ジャズ・ギター(The Incredible Jazz Guitar)」
ブルー・ミッチェル「ブルーズ・ムーズ(Blue's Moods)」