女性ヴォーカル(2)―エラ・フィッツジェラルド、サラ・ヴォーン
前回に続き、女性ジャズ・ヴォーカル。
もう前置きは必要ないので、早速アーティストの紹介へ入ろう。
今回は二人だ。
エラ・フィッツジェラルド(Ella Jane Fitzgerald、1917年4月25日-1996年6月15日)は、ビリー・ホリデイ、サラ・ヴォーンと共に「三大ジャズ女性ヴォーカル」と称されるシンガー。
劣悪な環境下で育ち、人生行路を踏み外す瀬戸際だった17際の時、黒人芸能の殿堂アポロ・シアターで開催されたアマチュア・コンテストへの出場が、エラの転機となった。
もともとはダンスを披露する予定だったが、直前のダンス・デュオの演技に圧倒され、咄嗟に歌唱に変更、その結果、見事賞を獲得した――という有名なエピソードである。
これをきっかけとしてタイニー・ブラッドショウ(Tiny Bradshaw)楽団、次いでチック・ウェッブ(Chick Webb)楽団において歌手としてのデビューを果たし、やがてソロ活動も開始する。
その才がどれほど高く評価されていたかは、彼女を世に出すことを目的としてわざわざヴァーヴ・レーベルが設立されたというエピソードをもってしても明らかだろう。
1956年に録られた、ルイ・アームストロング(Louis Armstrong)との共演による「エラ・アンド・ルイ(Ella And Louis)」では、偉大な先輩により一層高められた、そんなエラの実力を聴くことができる。
・イズント・ディス・ア・ラブリー・デイ(Isn't This A Lovely Day)
上で名前を挙げたサラ・ヴォーン(Sarah Vaughan、1924年3月27日-1990年4月3日)もまた、アポロ・シアターでの優勝を足掛かりにプロ・シンガーへの道を踏み出した。
その翌年、まずアール・ハインズ(Earl Hines)楽団の専属ミュージシャンとしてデビュー、続いてビリー・エクスタイン(Billy Eckstine)との共演を経て、歌手として独立。
彼女の特徴は、豊かな声量・幅広い声域を具えた温かい歌声にある。
そこに超絶的ともいえる多彩な技巧が加わり、そのレパートリーは独りジャズだけに留まらず、ポピュラー音楽の世界にも確固とした足跡を残した。
特に30台前半には、ポピュラー、ジャズのアルバムをそれぞれマーキュリー、エマーシーから数多くリリース。
さらにキャリアを重ねた後の1982年に録られた、次のシンプルな編成によるパフォーマンスからは、そんなゼネラリストとしての能力とともに、その深奥に燃え続けるジャズの焔(ほむら)を聴きとれるように思う。
・時さえ忘れて(I Didn't Know What Time It Was)