前回まで、ジャズにおける楽器編成についての話を続けたが、ここからは少し視座を変え、それら楽器の演奏者の方に注目し、主な楽器ごとに、代表的アーティストをご紹介していこうと思う。
ここで「代表的」というのは、あくまでも私の主観に基づくもの、すなわち個人的に好きな演奏家ということだが、私は決して徒に趣味の偏重を誇るジャズマニアではないので、ごくオーソドックスな選択になるはずだ。
その初回として、「ヴォーカル」、特に女性ヴォーカリストを取り上げたい。
ヴォーカルは楽器か?――といった問題は、この際本質的ではないので脇へ置き、なぜこれから始めるかについて少々述べておこう。
まずは何と言っても、声は最も身近な発音媒体であり、それだけに一番親しみ易いということがある。
実際、ロックやポップスなどの人気のある音楽ジャンルでは、ほとんど全てがヴォーカル曲であることは周知のとおりで、他方、ヴォーカルを含まない曲が珍しくない――というより、その方が一般的ともいえるクラシックやジャズが、なかなか広く聴いてもらえないという事実は、上の例証であろう。
それにもかかわらず、本サイトが、これまでヴォーカルを含まない「器楽曲」ばかりを取り上げてきた理由は、まず、「ジャズ特有の」「ジャズらしい」雰囲気を最初に感じて頂きたいと考えたこと、および、それとも関連して演奏形態というテーマを設定した都合上、ヴォーカル曲を取り上げる機会がなかったというだけのことだ。
しかしもちろん、ジャズにも魅力的なヴォーカリストが多数あるので、そろそろこの辺で早めに一つ、ジャズ・ヴォーカルにも接して頂こうということから、この記事の内容となったわけである。
では、前置きはこれくらいにして、アーティストの紹介に移ろう。
本サイトの性格上、一人ひとりについて詳細なバイオグラフィやディスコグラフィを紹介するのではなく、広く浅く取り上げる形になることは、予めご了承願いたい。
まず、今回は一人。
ジャズでは、十代前半から音楽活動を開始したという早熟な才能が多いが、その一人に、ハスキーな(かすれた)唄声から「ニューヨークのため息」と称されるヘレン・メリル(Helen Merrill、1929年6月21日- )がいる。
ニューヨークのジャズ・クラブにおいてマイルス・ディヴィス(Miles Davis)、バド・パウエル(Bud Powell)などと共演することで音楽的な成長を遂げ、1954年にはエマーシー・レコードと契約。
同年暮れには、初のリーダー・アルバム「ヘレン・メリル・ウィズ・クリフォード・ブラウン(Helen Merrill With Clifford Brown)」を録音した。
この年月からわかる通り、ヘレンは当時わずか25歳、さらに共演したクリフォード・ブラウン(tp)は26歳、編曲を担当してアルバムの構図を定めた、後にポピュラー界で一世を風靡するご存じクインシー・ジョーンズ(Quincy Jones)に至っては、わずか22歳である。
そんな若いアーティストたちの手から次のような円熟のパフォーマンスが生まれたとは、実に信じがたい。
・ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ(You'd Be So Nice To Come Home To)