ジャズ・レーベル(4)―ヴァーヴ(Verve)
今回は「ジャズ・レーベル(4)」として、先の3大レーベルに比べるといくぶん知名度は低いものの、やはりジャズシーンにおいて忘れることのできない「ヴァーヴ(Verve)」をご紹介したい。
1944年、ロサンゼルスのフィルハーモニック・オーディトリアムというクラシック音楽のホールにおいて、J.A.T.P.(ジャズ・アット・ザ・フィルハーモニック)というジャズのコンサートが開催された。
J.A.T.P.を企画・実現したのは、当時まだ20代半ばであったノーマン・グランツ(Norman Granz)で、このグランツが、後にジャズの名門レーベル「ヴァーヴ(Verve)」を設立することになるのである。
グランツは、J.A.T.P.を一期一会のコンサートとして行うだけではなく、その演奏を録音して後世に残すというアイデアを胸に抱いていた。
そして、それを実行に移した成果が、ジャズ・レコード史における最初のライブ盤として世に送り出されたのである。
その後、1951年になると、グランツは自らのレーベル「クレフ(Clef)」を設立し、シリーズとして続けられたJ.A.T.P.のライブ盤をリリースするとともに、新作のスタジオ・レコーディングも開始。
オスカー・ピーターソン(Oscar Peterson, p)、アート・テイタム(Art Tatum, p)、チャーリー・パーカー(Charlie Parker, as)、エラ・フィッツジェラルド(Ella Fitzgerald, vo)、バド・パウエル(Bud Powell, p)といった、ジャズシーンにおけるビッグ・ネームの作品により、次第に名声を確立していった。
次いで1953年、グランツは自分の名前に因んだ「ノーグラン(Norgran)」を立ち上げ、かつてクレフで制作した作品もこのノーグランで順次再発していった上、1956年にはまたもや新しいレーベルを設立する。
これが「ヴァーヴ(Verve)」で、グランツにその新設を決意させたのは、彼がマネージメントを行ってきたジャズ・ボーカルの女王、エラ・フィッツジェラルドとの専属契約を締結することができたためといわれている。
ヴァーヴは、クレフとノーグランで制作された約250枚の作品を再発売するとともに、エラをはじめとする大物アーティストたちのレコーディングも引き続き積極的に行なったことで、1950年代の末にはジャズシーン最大のアルバム数を誇るレーベルに成長した。
1960年にはMGMに売却されてグランツの手を離れたが、クリード・テイラーなどのプロデュースの下、引き続き数々の名作を生み出していく。
特に、スタン・ゲッツ(Stan Getz, ts)を中心とした一連のボサ・ノヴァ作品は世界中でベストセラーを記録し、さらにビル・エヴァンス(Bill Evans, p)やジミー・スミス(Jimmy Smith, org)などのアーティストも獲得して名門ジャズ・レーベルとしての地位を完全に確立したのである。
この業界の例に漏れず、1972年にMGM・ヴァーヴは現在のポリグラムに吸収され、しばらく新作の制作は中断したものの、1980年代の末からはレコーディングを再開し、現在は親会社のユニバーサル・ミュージックが所有するインパルスやGRPといったレーベルも吸収して精力的な制作活動を展開している。
そんなヴァーヴ・レーベルを語る際に、グランツとともに忘れてはならない人物がいる。
それはイラストレーターのデビッド・ストーン・マーティン(David Stone Martin)。
ヴァーヴ・レーベルの作品に芸術的な格調が感じられるのは、マーティンの手になるカバーアートによるところが大きい。
最後に、上に挙げた三つのレーベルからリリースされたアルバムを一枚ずつご紹介して本稿を閉じよう。
チャーリー・パーカー&ディジー・ガレスピー「バード&ディズ(Bird And Diz)」
バド・パウエル「ピアノ・インタープリテーションズ・バイ・バド・パウエル(Piano Interpretations by Bud Powell)」
エラ・フィッツジェラルド「マック・ザ・ナイフ(Mack the Knife-Ella in Berlin)」