ジャズ on the net|JAZZの名曲・名演を動画で試聴

Jazzの歴史から代表的アーティスト、名演奏、スタンダードナンバー、おすすめの名盤まで―YouTubeの動画を視聴しながら、ジャズを愉しむためのツボをご紹介します。

恋人よ我に帰れ(Lover, Come Back to Me)

今回は、「朝日のようにさわやかに(Softly, As In A Morning Sunrise)」でも少し触れた「恋人よ我に帰れ(Lover, Come Back to Me)」をご紹介しようと思う。

 

jazz-cafe.hatenablog.com

 


上の記事で述べた通り、これらはいずれも1928年にブロードウェイにかかった「ニュー・ムーン(The New Moon)」のために書かれたもので、オスカー・ハマースタイン2世(Oscar HammersteinⅡ)、シグマンド・ロンバーグ(Sigmund Ronberg)がそれぞれ詞と曲を手掛けている。

 

この劇作品はクラシック音楽の要素を色濃く纏っており、ミュージカルではなくオペレッタと呼ぶのが相応しいと感じるが、呼び名はともかく、劇中、管弦楽をバックにしたイーヴリン・ハバート(Evelyn Herbert)による「恋人よ我に帰れ」の歌唱にもその特徴を聴くことができ、これは1930年、さらに1940年の映画化においても踏襲された。

 


しかし間もなく、ビリー・ホリデイがこれを取り上げたことでジャズ、さらにはより広いさまざまなポピュラー音楽の世界へと急速に浸透してスタンダードナンバーの地位を確立するに至ったのである。

 

この広がりを鑑みるに、「恋人よ我に帰れ」に関しては特に、「ジャズの」と限定すべきではないだろう。

 

 

 

 


その詞は次のように、短い詩行(?)を重ねた中にふッと長めのものを入れ、その対照で恋する者の想いの強さ深さを見事に表現している(付:拙訳)。

 

The sky was blue
空は青く
And high above
そして澄んでいた
The moon was new
月はまだ見えず
And so was love
恋も同じだった
This eager heart of mine was singing
わたしの恋焦がれる心は切望していた
Lover, where can you be?
愛しい人はどこかにいるの?

 

You came at last
あなたは遂に現れて
Love had its day
恋の日々が始まった
That day is past
でもあなたとともに
You've gone away
もう行ってしまった
This aching heart of mine is singing
わたしの疼く心は切望している
Lover, come back to me
帰って来て、愛しい人

 

When I remember every little thing
あなたのちょっとした仕種を
You used to do
思い出すたび
I'm so lonely
とても寂しい
Every road I walk along
わたしが歩くのは
I walk along with you
どれもあなたと歩いた道
No wonder I am lonely
だからこそ寂しいの

 

The sky is blue
空は青く
The night is cold
冷たい夜が来る
The moon is new
月は見え始めたのに
But love is old
恋は色褪せて行く
And while I'm waiting here
ここでこうして待ちながら
This heart of mine is singing
わたしの心は切望する
Lover, come back to me
帰って来て、愛しい人

 

 

最後にジャズにおける「恋人よ我に帰れ」の名パフォーマンスを二つ。

 

いずれも原曲とは表面上大きく趣が異なるが、それぞれ独自の魅力を具えると同時に、根底には共通する情調をも保持しているように思う。

 

https://www.youtube.com/watch?v=yczvZyzOXKA

https://www.youtube.com/watch?v=EmzqjzRqmpM

 

 

 

 

ギター(1)―ケニー・バレル(Kenny Burrell)

ロックやポップスにおいては、ギターはほとんどの場面で主役を演じる看板楽器だが、ジャズの世界に目を転じると、その輝かしい座に君臨するのはトランペットやテナーサックスなどのホーンであり、ギターは場合によってはピアノ・ベース・ドラムスにも道を譲っているようだ――

 

個人的なことを言うと、ジャズを聴き始めて間もなくそんな印象を持つとともに、以後かなり長い間、私はギターを擁するジャズのパフォーマンスを意識的に取り除けていた。

 

もっとも、それは上に挙げたギターの位置付けについての印象からではなく、今思うと、まだ少年時代だった当時、レコード、FM放送そしてカセットテープで主に聴くのは内外のロック・ポップスで、ジャズに関しては、よくわからないながらも惹きつけられる情趣を具えた、前者とは全く別の独特な世界と捉えていたため、最も馴染み深いギターというものがそこに加わることによってその趣が削がれるような気がしたためのようだ。

 

独りギターだけではなくヴォーカルからも耳を逸らしていたことを併せ鑑みると、やはりこれが理由らしい。

 

要するに、どちらについても完全な食わず嫌いだったわけだ。

 

 

 

 


そんな状態から、今度はクラシック音楽へと興味の比重が移り、やがて音楽=モーツァルトという時代がこれも10年以上に亘って続いた後、アメリカへ旅行する機会が生じてさて現地で何を見聞しようかと考えた際、季節は夏であいにくオペラなどは休演中、では他にアメリカが本場のものは――と巡って真っ先に頭に浮かんだのがジャズで、これを機にこのジャンルに舞い戻ったのだが、そこから離れていた間に変な拘りは消失し、ごく自然にギターへも

 

ヴォーカルへも目が向き、手が伸びるようになっていた。

 

初めて意識的にその演奏を聴いたジャズ・ギタリストが誰だったかという記憶ははっきりしないのだけれど、ジャズにおけるギターも良いものだ――と強く感じたのがケニー・バレルだったことは覚えている。

 

Kenny Burrell

 


バンジョーやギターを演奏する工場労働者を父、ピアニスト兼オルガニストを母としてミシガン州デトロイトに生まれたケニー・バレル(Kenny Burrell、1931年7月31日-)は、その音楽的に恵まれた家庭および土地環境もあって幼い時からさまざまなジャンルの音楽に接し、やがてジャズに深い関心を抱くようになった。

 

その際に惹かれたのはテナー・サックスだったが高価で手にすることができず、仕方なしに選んだのがギターだったという。

 


同地には同い年のトミー・フラナガン(Tommy Flanagan, p)、ペッパー・アダムス(Pepper Adams, bs)、さらに先輩・後輩にそれぞれ当たるミルト・ジャクソン(Milt Jackson, vb)、ポール・チェンバース(Paul Chambers, b)らがおり、彼らとの交流もバレルの音楽的な技量手腕を高めるのに多大な影響を及ぼしたに違いない。

 

さらにウェイン州立大学で正式に音楽を学んだ後、ディジー・ガレスピーのレコーディングに参加し、続いて斯界での自らのキャリアをさらに切り開くべくニューヨークへ活動の場を移すと、ブルーノートのオーナー兼プロデューサー、アルフレッド・ライオンの目に留まるという幸運に恵まれ、1956年、同レーベルから「イントロデューシング・ケニー・バレル(Introducing Kenny Burrell)がリリースされたのである。

 


バレルの演奏は、ブルースのフレーバーを基調としているが、南部のジャズほどのどろッとした風合は少ない。

 

これはバレルに白人の血が混じっていることに加え、彼の音楽がデトロイトという都市でビ・バップという流れに浴しながら培われたことも大きく与っているように思う。

 

熱さと冷たさ、素朴と洗練といった相対立する要素を兼備したそんなバレルの演奏は、ビ・バップに続いて起こったハード・バップをはじめ以後のさまざまなムーブメントに自然にフィットし、自ら脚光を浴びるとともに、さまざまなアーティストのセッションをも長きに亘り華やかに彩ることとなったのである。

 

この点ではロン・カーター(Ron Carter, b)と双璧を成すアーティストと言えるだろう。

 

 

・Weaver of Dreams

https://www.youtube.com/watch?v=k50FN3GizyY