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恋に恋して(Falling in Love with Love)

"Falling in Love with Love"(邦題:恋に恋して)は、詞をロレンツ・ハート(Lorenz Hart)、曲はリチャード・ロジャース(Richard Rodgers)によってものされた――

 

と来れば類推される通り、劇作品のための楽曲で、実際同曲は1938年11月23日に初演を見たブロードウェイ・ミュージカル「シラキュース(シラクサ)から来た男たち(The Boys from Syracuse)」の挿入歌の一つである。

 

劇は二組の双子の混同から生じる騒動を描いた、シェイクスピアの「間違いの喜劇(The Comedy of Errors)」に基づいており、アメリカで初めてこの大家の作品を原作としたミュージカルとして公開当初から大きな成功を収め、その後映画化およびオフ・ブロードウェイでの再演を経て、今世紀に入って再びブロードウェイに姿を現した。

 

この劇中、「恋に恋して」は主人公の双子の一人の妻であるアドリアーナが、女中たちと一緒にタペストリーを織るシーンにおいて、ワルツ、3拍子で次のように歌われる(付:拙訳)。

 

[Vers]

I weave with brightly colored strings
明るい色の糸でタペストリーを織るのは
To keep my mind off other things
心を一つのことに集中させるため
So, ladies, let your fingers dance
だから可愛い魔女さん、あなたたちも
And keep your hands out of romance
ロマンスなどに手を出さないで
Lovely witches
指を動かしなさい

 

Let the stitches keep your fingers under control
一針々々に指先を集中させましょう
Cut the thread, but leave the whole heart whole
縫い糸は切っても、心の糸はしっかり引き締めておくこと
Merry maids can sew and sleep
陽気な女中は縫い物をしたあとに眠れる
Wives can only sew and weep
でもわたしたち妻は、ただ涙を流すだけ

 

[Chorus]

Falling in love with love is falling for make-believe
恋に恋するというのは、偽りの世界にのめり込むこと
Falling in love with love is playing the fool
恋に恋するというのは、道化役を演じること
Caring too much is such a juvenile fancy
心から望むなんて、単なる子どもの空想
Learning to trust is just for children in school
人を信じるなんて、学校でだけ習うこと

 

I fell in love with love one night when the moon was full
ある満月の夜、わたしは恋に恋してしまった
I was unwise with eyes unable to see
軽率なわたしは何も見えなかった
I fell in love with love with love everlasting
いつまでもという気持ちで恋に恋したのに
But love fell out with me
恋はわたしを裏切った

 

 

 

 


――などと書いたものの、白状すると私はミュージカルにはほとんど関心がなく、上の曲の由来は書籍やネット上の記事からご教示頂いたもので、初めて「恋に恋して」に出会ったのはジャズの楽曲としてであり、そして以後長らく、この曲はそもそも斯界で誕生したものと思っていた。

 

というのも、時を追うに従いいくつか接したどのパフォーマンスも、ジャズの正道とも言える4拍子を採っていたからに他ならない。

 

今般本稿を起こすに当たり、改めて3拍子の歌唱や演奏を探してみたもののほとんどなく、漸く見出したのが次のフランセス・ラングフォード(Frances Langford)の歌唱である。

 

https://www.youtube.com/watch?v=fD9itDSz4wI

 


さて、これを聴いての個人的感想を正直に言えば、少々間怠さを禁じ得ない。

 

無論、この印象はジャズのパフォーマンスに馴染んでいることから来ている訳だが、今一度曲本来の位置付け、すなわち上に述べた用いられ方と詞の内容を鑑みると、ワルツで歌われる方が確かにしっくり来ることに気付く。

 

仮に劇中の当該場面で4拍子が採用されたら、恰も工場での機械労働の如き雰囲気を醸してしまうように思うのだ。

 


作曲者のロジャースはこのリズムの改変に対してかなり不満だったということだが、恐らくそれは本来の劇中歌としての性格を強く意識していたからだろう。

 

一方、その枠を取り払って純粋に音楽として聴いた場合は、ジャズを筆頭とする4拍子のアレンジの方が多くの耳に好ましく感じられるのではなかろうか。

 

現在同曲がほぼこの形で奏され・聴かれている事実がこれを裏打ちしているように思う。

 


すなわち、原曲を書いたロジャース、さらに最初に4拍子に変えたアレンジャー(遺憾ながらそれが誰かは知らないけれど……)のいずれも、優れた感性の持ち主だったと称えるべきということ。

 

糅てて加えて、原題を素直に訳してしかも実に響きの良い邦題とした御仁もまた然り、である。

 


なお、ジャズアレンジでは[Vers]がほとんど略されることも付記しておく。

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=GlPH3FHNQQI

https://www.youtube.com/watch?v=y7z8-RoYuXY

 

 

 

 

愚かなり我が心(My Foolish Heart)

"My Foolish Heart"(邦題:愚かなり我が心)は、マーク・ロブソン監督により撮られ1949年に公開された同タイトルのアメリカ映画の主題曲である。

 

作曲は「星影のステラ(Stella by Starlight)」なども書いたヒットメーカーのヴィクター・ヤング(Victor Young)、作詞はニューリー・ワシントン(Newly Washington)が手掛け、劇中マーシャ・ミアーズ(Martha Mears)により歌われたのに続き、ビリー・エクスタイン(Billy Eckstine)に取り上げられて大きなヒットとなり、広く知られるに至った。

 


この映画の原作は、アメリカ文学における金字塔の一つ「ライ麦畑でつかまえて(The Catcher in the Rye)」をものしたJ.D.サリンジャーの「コネチカットのひょこひょこおじさん(Uncle Wiggily in Connecticut)」だが、サリンジャーは出来上がった映画を観て「強烈なる不満」を表明し、以後自作の映像化は一切認めなかったという。

 

その不満の理由については、サリンジャーが自分の考えや意見を積極的には表明しない――寧ろ黙して語らない作家だけに明らかではない(はずだ)が、恐らく原作にないエピソードを牽強附会的にあれこれ追加されたためではなかろうか。

 

 

実際、「コネチカットの……」はサリンジャーの他の多くの作品同様、人の心の不安定さ、その揺れ動くさまを、明晰でも判明でもない、オブラートに包んだかの如き登場人物の言動を通じて描かれているのに対し、映画の方は主人公たるエロイーズの言辞の「深読み」により、その裏にある因果関係を掘り出して――というより捻出して、感傷的かつ直情的メロドラマに仕立てられている。

 

原作が短編であること、および社会における映画の位置付けからするとこれは致し方ないのであろうが、自らを語るを欲しないと同時に、翻訳出版に際し、原文を忠実に訳すこと、及びまえがきや序文さらには解説さえ、余計な文章は一切含めないことを条件にはじめて許可したと言われるサリンジャーにとっては、到底受け入れられなかったに違いない。

 

コネチカットの……」を収めた短編集「ナイン・ストーリーズ(Nine Stories)」の扉に「両掌打って音声あり、隻手になんの声やある。」という禅の有名な公案を掲げた気持ちを鑑みるに、一層その感が深まるのである。

 

 

 

 


さて、楽曲"My Foolish Heart"へ話を戻すと、当然ながら曲・詞ともに映画の情趣を強く反映したセンチメンタルな作品となっている。

 

その詞(付:拙訳)は次のように歌う。

 

The night is like a lovely tune
今宵は優しい音楽のよう
Beware, my foolish heart
気をつけなさい、浅はかなわたし
How white, the ever constant moon
白く、いつも冷静な月のように
Take care, my foolish heart
注意するのよ、わたしの愚かな心

 

There's a line between love and fascination
本当の愛と見せかけの魅力とは別のもの
That's hard to see, on an evening such as this
それをこんな夜に見分けるのは難しい
For they both give the very same sensation
なぜならどちらも同じ気持ちを惹き起こすから
When you're lost in the magic of a kiss
口づけの魔法にかけられてしまうと

 

His lips, are much too close to mine
彼の唇がわたしのそれに近づきすぎる
Beware, my foolish heart
気をつけなさい、浅はかなわたし
But should our eager lips combine
でも重ね合わさずにいられないなら
Then let the fire start
その焔に身を委ねましょう

 

For this time, it isn't fascination
なぜならこれは見せかけの魅力でも
Or a dream that will fade and fall apart
消えたり壊れたりする夢でもないから
It's love this time, it's love my foolish heart
これは愛、そう、本当の愛だとわかる
My foolish heart
愚かなこのわたしにも

 

For this time, it isn't fascination
なぜならこれは見せかけの魅力でも
Or a dream that will fade and fall apart
消えたり壊れたりする夢でもないから
It's love this time, it’s love my foolish heart
これは愛、そう、本当の愛だとわかる

 

My foolish heart
愚かなこのわたしにも
My foolish heart
わたしの愚かな心、
Poor foolish heart
哀れなこの心にも

 

最後に個人的な印象を述べれば、前記事でご紹介した「今宵の君は」などとは逆に、映画の邦題をそのまま踏襲した「愚かなり我が心」という曲名には、徒に表現に凝った挙句失敗に帰した感を禁じ得ない。

 

原題が至極シンプルなものゆえ意味的な齟齬は勿論ないのだが、響きの濁りは否定できないし、詞にも上手く嵌らないように思う。

 

少なくとも、原題をそのまま「わたしの愚かな心」と写す方に遥かに好感を覚えるのは、決して私独りではあるまい。

 


映画はサリンジャーの原作とは切り離して、そして曲の方はあくまで"My Foolish Heart"として接するのが得策ではなかろうか。

 

https://www.youtube.com/watch?v=ZhFebaGb9nE

https://www.youtube.com/watch?v=EpVXH3Vm2wg