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愚かなり我が心(My Foolish Heart)

"My Foolish Heart"(邦題:愚かなり我が心)は、マーク・ロブソン監督により撮られ1949年に公開された同タイトルのアメリカ映画の主題曲である。

 

作曲は「星影のステラ(Stella by Starlight)」なども書いたヒットメーカーのヴィクター・ヤング(Victor Young)、作詞はニューリー・ワシントン(Newly Washington)が手掛け、劇中マーシャ・ミアーズ(Martha Mears)により歌われたのに続き、ビリー・エクスタイン(Billy Eckstine)に取り上げられて大きなヒットとなり、広く知られるに至った。

 


この映画の原作は、アメリカ文学における金字塔の一つ「ライ麦畑でつかまえて(The Catcher in the Rye)」をものしたJ.D.サリンジャーの「コネチカットのひょこひょこおじさん(Uncle Wiggily in Connecticut)」だが、サリンジャーは出来上がった映画を観て「強烈なる不満」を表明し、以後自作の映像化は一切認めなかったという。

 

その不満の理由については、サリンジャーが自分の考えや意見を積極的には表明しない――寧ろ黙して語らない作家だけに明らかではない(はずだ)が、恐らく原作にないエピソードを牽強附会的にあれこれ追加されたためではなかろうか。

 

 

実際、「コネチカットの……」はサリンジャーの他の多くの作品同様、人の心の不安定さ、その揺れ動くさまを、明晰でも判明でもない、オブラートに包んだかの如き登場人物の言動を通じて描かれているのに対し、映画の方は主人公たるエロイーズの言辞の「深読み」により、その裏にある因果関係を掘り出して――というより捻出して、感傷的かつ直情的メロドラマに仕立てられている。

 

原作が短編であること、および社会における映画の位置付けからするとこれは致し方ないのであろうが、自らを語るを欲しないと同時に、翻訳出版に際し、原文を忠実に訳すこと、及びまえがきや序文さらには解説さえ、余計な文章は一切含めないことを条件にはじめて許可したと言われるサリンジャーにとっては、到底受け入れられなかったに違いない。

 

コネチカットの……」を収めた短編集「ナイン・ストーリーズ(Nine Stories)」の扉に「両掌打って音声あり、隻手になんの声やある。」という禅の有名な公案を掲げた気持ちを鑑みるに、一層その感が深まるのである。

 

 

 

 


さて、楽曲"My Foolish Heart"へ話を戻すと、当然ながら曲・詞ともに映画の情趣を強く反映したセンチメンタルな作品となっている。

 

その詞(付:拙訳)は次のように歌う。

 

The night is like a lovely tune
今宵は優しい音楽のよう
Beware, my foolish heart
気をつけなさい、浅はかなわたし
How white, the ever constant moon
白く、いつも冷静な月のように
Take care, my foolish heart
注意するのよ、わたしの愚かな心

 

There's a line between love and fascination
本当の愛と見せかけの魅力とは別のもの
That's hard to see, on an evening such as this
それをこんな夜に見分けるのは難しい
For they both give the very same sensation
なぜならどちらも同じ気持ちを惹き起こすから
When you're lost in the magic of a kiss
口づけの魔法にかけられてしまうと

 

His lips, are much too close to mine
彼の唇がわたしのそれに近づきすぎる
Beware, my foolish heart
気をつけなさい、浅はかなわたし
But should our eager lips combine
でも重ね合わさずにいられないなら
Then let the fire start
その焔に身を委ねましょう

 

For this time, it isn't fascination
なぜならこれは見せかけの魅力でも
Or a dream that will fade and fall apart
消えたり壊れたりする夢でもないから
It's love this time, it's love my foolish heart
これは愛、そう、本当の愛だとわかる
My foolish heart
愚かなこのわたしにも

 

For this time, it isn't fascination
なぜならこれは見せかけの魅力でも
Or a dream that will fade and fall apart
消えたり壊れたりする夢でもないから
It's love this time, it’s love my foolish heart
これは愛、そう、本当の愛だとわかる

 

My foolish heart
愚かなこのわたしにも
My foolish heart
わたしの愚かな心、
Poor foolish heart
哀れなこの心にも

 

最後に個人的な印象を述べれば、前記事でご紹介した「今宵の君は」などとは逆に、映画の邦題をそのまま踏襲した「愚かなり我が心」という曲名には、徒に表現に凝った挙句失敗に帰した感を禁じ得ない。

 

原題が至極シンプルなものゆえ意味的な齟齬は勿論ないのだが、響きの濁りは否定できないし、詞にも上手く嵌らないように思う。

 

少なくとも、原題をそのまま「わたしの愚かな心」と写す方に遥かに好感を覚えるのは、決して私独りではあるまい。

 


映画はサリンジャーの原作とは切り離して、そして曲の方はあくまで"My Foolish Heart"として接するのが得策ではなかろうか。

 

https://www.youtube.com/watch?v=ZhFebaGb9nE

https://www.youtube.com/watch?v=EpVXH3Vm2wg