ベース(3)―ダグ・ワトキンス
ジャズの世界では、若くしてこの世を去ったアーティストが少なくない。
これまでにご紹介した中にも、リー・モーガン(享年35、以下同様)、ポール・チェンバース(35)、クリフォード・ブラウン(26)、スコット・ラファロ(25)といった例を挙げることができる。
そしてまた、斯界においてはアルコールおよび薬物にかかわるエピソードに事欠かず、それらに起因する心身の衰弱損耗という問題も盛んに取り沙汰されることから、上の夭折もここに因るのではないかと思われがちだが、実際のところ、これに該当するのはチェンバース一人に過ぎず、ブラウンとラファロは自動車事故で、モーガンは内縁の妻に拳銃で打たれて落命している。
もっとも、モーガンは完全なな薬物中毒で、仮に上の事件がなかったにしても、余命がどの程度あったかは定かでないが……
今回ご紹介するダグ・ワトキンス(Douglas Watkins、1934年3月2日-1962年2月5日)も、29年に満たない短い年月で生涯を終えたアーティストだ。
ジャズの隠れたメッカとも言えるデトロイトに生まれたワトキンスは、ジャズ・メッセンジャーズ(The Jazz Messengers)が正式にこれを名乗った際のメンバーの一人としてここに参加し、その後の活躍により決して小さくない成功を得たが、わずか2年余りでホレス・シルヴァー(Horace Silver, p)とともに脱退する。
その理由は、リーダーのブレイキー(Art Blakey, ds)をはじめ、ケニー・ドーハム(Kenny Dorham, tp)、ハンク・モブレー(Hank Mobley, ts)が深刻な薬物依存だったことから度重なるガサ入れを受けたことに嫌気がさしたためだと言われている。
これをそのまま取れば、ワトキンスとシルヴァーはその問題には陥っていなかったのだろう。
そしてシルヴァーの結成したクインテットに加わったのち、ケニー・バレル(Kenny Burrell, g), ドナルド・バード(Donald Byrd, tp), ジャッキー・マクリーン(Jackie McLean, as)、ハンク・モブレー(Hank Mobley, ts)、リー・モーガン(Lee Morgan, tp)といったアーティストのセッションに大きな貢献をするとともに、自らのリーダー作も二枚、次に示すものリリースした。
・Watkins at Large(1956)
・Soulnik(1961)
しかし、ワトキンスの名を不滅のものとしたセッションとしては、やはり、1956年に録られかつリリースされた、ソニー・ロリンズ(Sonny Rollins, ts)の「サキソフォン・コロッサス(Saxophone Colossus)」であろう。
ここに聴ける、若くして既に練達の域に達した感のあるアーティストたちによる、肩の力の抜けた、それでいて緊張感に満ちた、各パートの一糸乱れぬパフォーマンスは、正にモダン・ジャズの金字塔というべきものである。
しかしワトキンスに許された音楽活動の期間は長くはなく、1962年2月5日、仕事上のことでフィリー・ジョー・ジョーンズ(Philly Joe Jones, ds)に会うためアリゾナからサンフランシスコへ向かう途中、自動車事故によってこの世を去った。
もし、もっと命を長らえていたら――と思わず考えさせられるアーティストの一人である。
・リターン・トゥ・パラダイス(Return to Paradise)