ジャズ on the net|JAZZの名曲・名演を動画で試聴

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アルトサックス(3)―アート・ペッパー

改めて過去の記事のタイトルを眺めたところ、ジャズのフロントとして欠かせないアルトサックス・プレイヤーをまだ三人しか取り上げていないことに気付いた。

 

そこで今回は、優れた、そして個性豊かな人材を擁するそのジャンルから、新たに一人をご紹介したい。

 

アート・ペッパー(Art Pepper[Arthur Edward Pepper Jr.]、1925年9月1日-1982年6月15日)である。

 

Art Pepper

 


ペッパーの生まれは、いずれも既にご紹介した、ジャズ・アルトの開祖とも言うべきチャーリー・パーカー(Charlie Parker)よりは5年遅いが、ジャッキー・マクリーン(Jackie McLean)、キャノンボール・アダレイ(Cannonball Adderley)の両者に対しては先輩に当たる。

 

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しかも、上の生没年が示す通り、長生こそできなかったとはいえ、活動の開始時期が特に遅かった訳でもないにかかわらず、上の二後輩の紹介を敢えて先にしたのは、ペッパーが音楽活動を再三中断し、特にミュージシャンとして脂の乗る40歳台には、ジャズ・シーンからほとんど姿を消してしまったという史実を考慮してのことだ。

 

その原因・理由は、斯界では珍しくない、麻薬とそれによる中毒で、このためにペッパーは刑務所へ収監されたり、リハビリテーション施設で短くない年月を過ごす羽目となったのである。

 

もし、これなしにキャリアの継続性が保たれていたとしたら、ペッパー個人の評価は数段上がったであろうし、ジャズの歴史もより豊かになったはずだ。

 

 

 

 


もっとも、このような架空の話をせず、現実に目を据えても、ペッパーの残した足跡は決して小さなものではない。

 

アメリカ西海岸はカリフォルニア州ガーデナに生まれたペッパーは、スタン・ゲッツ(Stan Getz, ts)、チェット・ベイカー(Chet Baker, tp, vo)とともに、ウェスト・コースト・ジャズの代名詞として、この音楽を一般に広めるのに大きく貢献した。

 

これに関しては、彼らの洗練されたサウンドはもちろんだが、三者とも白人であった点も、少なからず寄与したようだ。

 

そのチェット・ベイカーを取り上げた過去の記事において、ジャズ界に帝王として君臨していたマイルス・デイヴィスの対抗馬として彼を売り出そうという業界の思惑・戦略があったように思われる――と述べたが、ペッパーにもまた、それが外部に起因するのか、内部から生じたものかは措くとして、マイルスへの強い意識があったように思う。

 


これを示す事例として、まず、その代表作にして名盤の誉れ高い「Art Pepper Meets The Rhythm Section(1957)」で、マイルスの黄金のクインテットを土台として支えたレッド・ガーランド(Red Garland, p)、ポール・チェンバース(Paul Chambers, b)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(Pillie Joe Jones, ds)を東海岸から迎え、そのリズム・セクションにワンホーンで対峙し見事な火花を散らしていることが挙げられよう。

 

そしてもう一つ、マイルスによるノーネット(九重奏)を集めた「クールの誕生(Birth Of The Cool, 1957)」に対抗するかの如く、こちらも12人の大きな編成でのクール・ジャズ「Art Pepper + Eleven(1960)」を録音しており、しかも冒頭に同じ「ムーヴ(Move)」を配してまでいるのである。

 

 

 

 


個人的なことになるが、この「Art Pepper + Eleven」は、私が初めて購入したジャズの音源――レコードだった。

 

まだこのジャンルを聴き始めたばかりで、当然何を選べはいいかなどはわからず、取り敢えずレコード店へ行ってつらつらと眺めているうち、「これだ!」と思わず手にしたのだが、その選択理由は至極単純で、12曲も入って1500円というお得感のためだった。

 

確か当時、国内版LPの価格が、それまでの1枚2500円(!)からさらに値上げされ始めた頃で、ほぼその半額で買えることに、ジャズとは何と素晴らしい音楽なのだろう――と妙に感心したような記憶もある。

 

しかしながら、その思いはレコードに針を下ろして時間の経つうち、消えるどころか感激へと変わり、さらに続けて、同じペッパーの「Meets the Rhythm Section」「Gettin' Together (1960)」がラックに加わることとなったのである。

 

このように、私のジャズ事始めにおいては、このジャンルを代表するアーティストはマイルスでもコルトレーンでもエヴァンスでもなく、アート・ペッパーだったわけだ。

 


ペッパーのプレイは、西海岸のアーティストらしい颯爽とした風合を基調としたものと言ってよいだろうが、時折耳を打つ、研ぎ澄まされたような鋭いフレージングにはッとさせられることも少なくない。

 

綿密に計算・構成された端正なクール・ジャズ演奏、丁々発止のインプロビゼーション(即興)のどちらにおいても、である。

 

今考えると、私が初めに聴いた「Art Pepper + Eleven」「Meets the Rhythm Section」は、そんなペッパーの特徴、いやもっと広くジャズの魅力を感受するに好適な二枚であり、偶然とはいえ極めて幸運な偶然――セレンディピティだった。

 

私が今もジャズを聴いているという事実が、その証左と言えよう。

 


最後に、ペッパーの魅力の窺える代表的パフォーマンスを二つお聴き頂こう。

 

You'd Be So Nice to Come Home To
そよ風と私(The Breeze And I)

 

 

 

いつか王子様が(Someday My Prince Will Come)

映画・文学にしろ音楽にせよ、その作品のタイトルを適正かつ味わい深く訳すのが簡単でないことは、あらためて言うまでもないだろう。

 

違和感を禁じ得ないような邦題がまかり通ってしまっている例が遺憾ながら見られるのも、そのためである。

 

そんな中、"Someday My Prince Will Come"を「いつか王子様が」としたのは、仮に原題が訳しやすいものだとしても、日本語の特質を活かした、簡にして要を得た名訳の好例であろう。

 


この、実に洒落た邦題を与えられた楽曲は、元々、1937年にディズニーが公開した同社(そして世界)初の長編アニメ映画「白雪姫(原題:Snow White and the Seven Dwarfs=白雪姫と7人の小びとたち)」の主題歌として作られた。

 

作曲したのはウォルト・ディズニーの専属ピアニストであったフランク・チャーチル(Frank Churchill)、作詞はラリー・モーリー(Larry Morey)である。

 


さて、この曲がジャズ・アーティストに好んで取り上げられるようになったきっかけは、1955年のアルバム「Jhon Williams Trio」ではないかと思う。

 

ここに名の出たジョン・ウィリアムス(Jhon Williams)は、その非凡な技量により将来を嘱望され、スタン・ゲッツ(Stan Getz)のグループにも一時加わっていたにもかかわらず突然消息が途絶えてしまったため、「幻の」と修飾語を付されて呼ばれる白人のジャズ・ピアニストで、スターウォーズの音楽を手掛けた有名なジョン・タウナー・ウィリアムズ(John Towner Williams)、さらにクラシック・ギターの大家ジョン・クリストファー・ウィリアムス(John Christopher Williams)とは別人であることを付記しておく。

 

 

 

 


その後、デイブ・ブルーベック(Dave Brubeck, p)やビル・エヴァンス(Bill Evans, p)、マイルス・デイヴィス(Miles Davis, tp)といったジャズの巨匠たちが、それぞれ独自の味付けで料理して世に問うたことから、ジャズのスタンダードナンバーとして定着したことに加え、ジュリー・アンドリュース(Julie Andrews)、バーブラ・ストライサンド(Barbra Streisand)などの歌声によってポップス界でも同じ地位を確立したのである。

 


このように多種多様なアーティストに取り上げられてきたことから、本曲の詞についてもいくつか(も)のバージョンがあるようだ。

 

それらの内、最もシンプルなものは次のように歌われる。

 

Someday my prince will come

いつか王子様が現れる

Someday we'll meet again

いつかまた会うはずなの

And away to his castle we'll go

そして一緒に彼のお城へ行って

To be happy forever I know

いつまでも幸せに暮らすの

 

Someday when spring is here

いつか春がきたときに

We'll find our love anew

もう一度愛を見つけるの

And the birds will sing

そのとき鳥たちは歌い

And wedding bells will ring

ウェディングベルが鳴るの

Someday when my dreams come true

わたしの夢が叶うのはその日

 


しかしジャズでは、次のようにより細やかな情景の描かれることが多いようだ。

 

Someday my prince will come

いつか王子様が現れる

Someday I'll find my love

愛する人に会えるはず

And how thrilling that moment will be

その瞬間はどんなにすばらしいかしら

When the prince of my dreams comes to me

夢の王子様が本当に現れたら

 

He'll whisper "I love you"

「愛してるよ」ってささやいて

And steal a kiss or two

わたしにそっとキスするわ

Though he's far away

その人はまだ遠くにいるけれど

I'll find my love someday,

いつかきっと見つかるはず

Someday when my dreams come true

わたしの夢が叶うのはその日

 

Someday my prince will come

わたしの王子様の現れるとき

 

まずはこれをヘレン・メリルの歌唱でお聴き頂こう。

https://www.youtube.com/watch?v=LfOplbDbC4Y

 


もう一つは、ビル・エヴァンスによるトリオ演奏。

 

と言っても、定盤中の定盤「Portrait In Jazz」からではなく、敢えて1964年に行われたライブでのパフォーマンスをご紹介して本稿を終えたい。

https://www.youtube.com/watch?v=a73xUcAFd9E