ジャズ on the net|JAZZの名曲・名演を動画で試聴

Jazzの歴史から代表的アーティスト、名演奏、スタンダードナンバー、おすすめの名盤まで―YouTubeの動画を視聴しながら、ジャズを愉しむためのツボをご紹介します。

オン・グリーン・ドルフィン・ストリート(On Green Dolphin Street)

しばらくジャズのアーティスト、すなわち人物の紹介が続いてきたので、ここでまた少し視座を変え、楽曲を取り上げてみようと思う。

 

と言っても、ジャズで奏される曲は星の数ほどあり、そこから何を選択すべきか途方にくれるので、先ずは「スタンダード・ナンバー」にターゲットを絞りたい。

 


ご承知のとおり、スタンダード・ナンバーとは、さまざまなアーティストによって演奏されたり、歌い継がれてきた曲を指し、当然、「名曲」との称号を勝ち得ているものとなる。

 

この意味からすると、クラシックの名曲はすべてスタンダード・ナンバーといえるかもしれないが、クラシックの作品は、楽器編成を初め速度記号や発想記号などが作曲家により指定されるため、通常、同一曲であれば耳に響く音楽がそれほど大きく異なることはない。

 

それに対し、ジャズにおいては奏者の自由度が高いため、同じ曲でも演奏形態やアーティストによってまったく表情の違ったものとなることがある――というより、それが普通で、そのような名スタンダード・ナンバーが数多存在して、まさに千紫万紅・百花繚乱の感を呈しているのである。

 

そこで、今後折りに触れてジャズのスタンダード・ナンバーを取り上げ、それぞれについていくつかのパフォーマンスを聴き比べていきたい。

 

これにより、曲を一層玩味できると同時に、アーティストの個性・特質に対する理解も深まるのではないかと思う。

 

 

 


その第一回目にご紹介するのは「オン・グリーン・ドルフィン・ストリート(On Green Dolphin Street)」。

 

逐語訳して「緑のイルカ通りで」と取ると奇妙なタイトルに聞こえるが、グリーン・ドルフィンはイギリスにある小さな港町の名、すなわち固有名詞で、これはそこでのラブ・ロマンスを描いた映画の主題曲である。

 

つまり、邦題は「グリーン・ドルフィンの町(通り)で」とでもなるだろうか。

 

その映画は、エリザベス・ガッジの小説「グリーン・ドルフィン・ストリート」を原作とするヴィクター・サヴィル監督の「大地は怒る(原題は小説と同じ)」で、1947年に公開されたもののあまりヒットせず、主題曲「オン・グリーン・ドルフィン・ストリート」の方も芳しい評判を得ることはなかった。

 

細かいことだが、小説・映画のタイトルには前置詞の"On"がないが、曲の方にはほとんどの場合これが付されている。

 

「ほとんどの場合」と限定したのは、ビル・エヴァンスのアルバム「Green Dolphin Street」に、この曲が同じタイトルで収録されていることを鑑みてのこである。

 

また、元々インストゥルメンタルだったものに、後にネッド・ワシントンが歌詞を付したらしいが、現在それが歌われることはほとんどない。

 

そのぱットとしなかった曲が、一転して陽の目を見るようになったのは、帝王マイルス・デイヴィスの演奏によってであろう。

 


個人的なことになるが、私はジャズを聴き始めた頃、このマイルスの「オン・グリーン…」に邂逅し、これによりジャズに対する関心と嗜好が決定的なものとなったといっても過言ではない。

 

その不朽の名演は、既に以下の記事でご紹介済みなので、まだお聴きでない方はまずそちらをご覧頂きたい。

 

jazz-cafe.hatenablog.com

 


そしてここでは、さらに二つのパフォーマンスをお届けしようと思う。

 

まずはウィントン・ケリー・トリオ(Wynton Kelly Trio)による幾分軽妙な演奏。

https://www.youtube.com/watch?v=QBPc5hXDyds

 

もう一つはデューク・ピアソン・トリオ(Duke Pearson Trio)の幽玄な雰囲気を具えたものだ。

https://www.youtube.com/watch?v=NhuvU-ztVrU

 

同じ曲が同じ編成で奏されても、これだけ味わいに差が出るのである。

 

そしてここに、ジャズの妙の一つがあると言ってよいだろう。

 

 

ピアノ(4)―ビル・エヴァンス

もう一人はビル・エヴァンス(William John Evans、1929年8月16日-1980年9月15日)。

 

Bill Evams

 

エヴァンスの名は、単にジャズ・ファンに限らず、音楽好きなら恐らく誰でも耳にしたことがあるのではないかと思う。

 


ところで、"William John"がどうしてBillとなるのか、これはニックネームなのか、と疑問に思う方もいるかもしれない(私がそうだった……)ので、ジャズとは直接関係ない、かつ蛇足的なこととなるが、ここで少々述べておきたい。

 

Billというのは、ニックネームというより、Williamの略称で、勘のいい方はもうお気付きかと思うが、WilliamがWillと略され、やや言い難いためだろう、さらに先頭の文字がBに変わってBillとなったものらしい。

 

こう原語で表記してみればどうということもないのだけれど、綴りのイメージなしに音だけで考えると、意外と気付かないものだ。

 

同様な例として、Richard→Rick→Dickもあり、これらを頭の片隅に置いておくと、英米の小説など読んでいる際、突然未見の名前が現れて戸惑うことは減ると思う。

 

 

 

 

閑話休題、エヴァンスの紹介に戻ろう。

 

エヴァンスがピアノに触れたのは、先のモンクと同じ6歳の時と言われ、さらにヴァイオリン、フルートなどを通じてクラシック音楽の素養を培った。

 

ジャズに対する関心は10代になって芽生え、1946年の大学入学後、アマチュア・ミュージシャンとしての活動を本格化させたが、卒業後の1951年、招集により入隊した陸軍では、音楽活動はできたものの、そこでの生活はエヴァンスには合わず、さらにこの期間に麻薬に魅入られ、以後の全生涯にわたって苦しめられることとなった。

 

兵役を終えた後の1954年、ニューヨークに出て音楽活動を再開し、次第に音楽関係者の間でその名を知られるようになったエヴァンスは、リバーサイド・レーベルから招聘を受け、1956年に初のリーダー作「ニュー・ジャズ・コンセプションズ(New Jazz Conceptions)」をリリース。

 

だが、このアルバムではまだエヴァンスの特質が十分には発揮されず、世評や売上の面でも成功とはならなかった。

 

その特質とは、端的に言えば「クラシック音楽を基礎とする繊細な抒情性」とでも言えるだろうか。

 

1958年、これがモード・ジャズを模索していたマイルス・デイヴィス(Miles Davis)の目を惹き、そのバンドに加入したが、エヴァンスはメンバー中唯一の白人、そしてプレイ・スタイルが異質ということなどもあり、そこに長く留まることはなかった。

 

しかし翌年、一時的に再加入して、ジャズにおける最高の金字塔とも称される「カインド・オブ・ブルー(Kind Of Blue)」が誕生したのである。

 

その直後、エヴァンスはドラムスのポール・モチアン(Paul Motian)、ベースのスコット・ラファロ(Scott LaFaro)という盟友を得てトリオを結成、ここにおいて、三者が対等に、積極的にインプロビゼーション(即興演奏)を展開するインター・プレイを確立し、正に水を得た魚の如く、自らの煌めきを遺憾なく発揮したが、1961年7月6日、ラファロは25歳という若さで事故死する。

 

この悲劇により黄金のトリオはごく短命にしてその活動に終止符を打つこととなったものの、彼らの残した、「リバーサイド四部作」と呼ばれる以下の4枚のアルバムが、当時の、さらにその後のジャズに及ぼした影響は、決して小さいなものではないのである。

 

ポートレイト・イン・ジャズ(Portrait In Jazz)
エクスプロレイションズ(Explorations)
ワルツ・フォー・デビー(Waltz For Debby)[Live]
サンデイ・アット・ヴィレッジ・ヴァンガード(Sunday At the Village Vanguard)[Live]

 


最後に、「ワルツ・フォー・デビー」から演奏を一つご紹介しておくが、その冒頭の「意図的なたどたどしさ」をモンクのそれと聴き比べるのも一興かと思う。

 

また、上に挙げた以外のアルバムを含め、エヴァンスの他のパフォーマンスも是非お聴き頂きたい。

 

どれをピックアップしても、まず外れはないはずだ。

 

マイ・ロマンス(My Romnce)